アドベントカレンダー登録記事。とは言ってもいつもほとんど自分のことしか書いてないのでいつもと違うかと言われるとそういうわけでもない。
1ヶ月の間働いてきて、だいぶ慣れてきた。というか、最初から言うほど縮こまってはなかった気がする。図太いのがいい方向に発揮したか。思ったより適応能力はあるのかも。人それぞれ得意なことがあって、それを活かして仕事をしているところを見るのが楽しい。
チームや会社という組織を良くしていこうという熱意を感じられてそこに対して好感が持てる。中学や高校のグループワークはやりたくない人がいたりでモチベーションが下がるみたいなのはありがちだったけれど、そういうのがなく全員が何かしらサービスや製品に対して何らかのモチベーションがあって、それに向かっているという気概が感じられるのは新鮮味もあってかなり楽しい。今の所。
肩書としてはフロントエンドエンジニア。これも今の所。キャリアパスもより明確に感じられるようになった気がする。今のところはもう少しガリガリコードをいたくて、いわゆるマネジメント的なポジションにはあまり興味がわいていない。わかなくても別に良いが、そもそもマネジメント自体恐らくあまり向いていなくて、自分の面倒見るので手一杯になりがち。
私は仕事と承認欲求は直結していると思っていて、個人的には仕事をやっていないと結果的に駄目になるのではという認識がある。それ故仕事せずに生活したい〜みたいなセリフを聞くと(そのセリフが半ば冗談である可能性はさておき)、本当にその生活を続けることができるのかと考えるとわりと疑問だ。この辺はやりがいとか自分のやりたいこととマッチしているかみたいな部分に行き着きそうだし今の仕事をしたくない人はどうにか天職についていてほしいと切に願ってる。誰に向けて言ってるのか不明な台詞だけど。
…思ったより書くことがなさそう。技術で殴れるお仕事は楽しいね。問題なく元気にやってます。
関連を持たせつつも面白みがないふんわりとした話。最近は特に「真っ当さ」を出しながら生活している気がする。しかしこれは同時に自分にコンテンツ力がないとも言うか、人に自分のことを話しても自分のことが面白いとは感じられない。真っ当さとコンテンツ力は両立するのでは?と自問して見ても、真っ当さがある人生は普遍的であり、普遍的という認識に収められてしまう限り面白さは感じられない。
アンダーグラウンドっぽさがあったり、厭世観みたいな価値観とか主義に憧れみたいなものがあったり好きだったりだけなのだけれど、実際にそれを主軸に生きていたらまともに生きられなくなる認識があるのでやっていない。いつしかTwitterで見た「(ある人が)メンヘラが好きというのは、多くの場合実際にメンヘラが好きなのではなくメンヘラが好きそうな見た目をした人が好きなだけ」みたいなツイートはそこそこ的を得ているなと感じた(ちなみに私はメンへラという言葉もかなり広義な解釈が出来る言葉だと思っていて、あんまり使いたくはない)。私も所詮そちら側かなという認識も有り。
まとまらないけど自分が面白くないので面白い話しください、みたいな締め方で終わります。文章力皆無故虚無。
非日常に直面しすぎると日常が恋しくなり、日常に浸っていると非日常が恋しくなるの、レンツの法則って呼んでる。