前回と参加しているカレンダーは同様です。14日目です。去年と同じ。
書き始める前に。最近の記事は「だ・である」「です・ます」をあまり使いたくなく中途半端な書き方をすることが多かったのですが、普通に書きづらいので今回はですますで書いてみます。今後口調にブレがあっても暖かく見守ってください。
半生です。人の半生を見て面白そうだなと思ってノリで書いているだけで深い理由はありません。思い返してみれば去年も同じようなことを音楽を交えて書いていたりもしますが、今回はよりジェネリックな感じで書いてみようかなと。
幼少期
あんまり覚えていることはありません。ピアノを始めたこと、家族で北海道に旅行で行ったこと、家族でディズニーに行ったこと、をぼんやりと覚えています。兄弟との年齢が離れているので家族で何かをするようなことはこのときが一番あった気がします。長距離移動は退屈で苦痛に感じるタイプでした。苦痛に感じない人いるのでしょうか?
保育園は地域柄のせいかやんちゃな子が多かったです。自分は彼らに対して強く出れるタイプではなかったので、その頃から陰キャラ・オタクの素養はあったのかもしれません。人数分ない三輪車の取り合いに勝てなくてしょんぼりするようなこともあった気がします。保育園は人数分三輪車用意してあげてください。
趣味、というか興味の範囲としてはアンパンマンやトーマスといった類のキャラにはあまり興味を示さなかった子供だったと思います。唯一ドラえもんについては今もそこそこ好きだと言えるくらいのキャラクターですが、いつから興味があったのか定かではありません。ただ、年長くらいのときには恐らく認知はしていたのではないかと思います。その他、家にトミカやらプラレールやらレゴがあって、それらで遊ぶのも好きだったと思います。トミカとプラレールを統合して遊べる踏切パーツみたいなものに対して憧れがあったのですが、多分買ってはくれなかった。
こう書いてみるとオタクっぽさはもうここから現れていますね。オタクは幼少期の時点で決まる!(本当?)
兄弟は親が頭の良い子供に育てたかったのか国立の小学校に入学させてた影響で、自分も俗に言うお受験をさせられました。泣きながら勉強をさせられたのを今でも覚えています。わからなくて泣いてたし、なんかのタイミングで学校に赴いたこともあったのですが(これは兄弟側のイベント関係かもしれません)、あまりにも嫌で行き帰りの学校最寄り駅である山手駅のホームを見下ろして隙間から見える下の道路の景色を眺めていたことを今でも山手駅に行くと思いだしたりします。お受験自体は普通に駄目だったので地元の公立小学校に通うことになります。敗因はなんだったのかわかりませんが、上二人の兄弟は2歳離れなことに対して私は最小でも6歳離れており、育った保育園(幼稚園?)や住む場所などの環境の違い、6年という期間で両親の中にあったお受験い対する戦略みたいなものは通じなくなっていたのかもしれません。何にせよ6歳離れていると1世代違うくらいの感覚はあるので(世代という単位は非常に曖昧な定義ですが、恐らく1世代違うと言って良いでしょう)、本人たちは同じ感覚で育てても同じように育つことはないのだと思います。
幼少期のまとめ
- オタク・陰キャラの素養はこの頃からあった
- お受験嫌だった
- 月日が経つことで人の経験は通じなくなることもある🙅(適当)
- でもまあ私自身普通に頭が悪かっただけというのはあると思います
小学3年生くらいまで
小学校にあがり、保育園より多様な人格を持つ人たちに直面することになりますが、こちらも正直要所要所にしか覚えていません。
小1、2くらいのときにポケットモンスタールビー・サファイアが出て、この頃からゲームという存在にかなりのめり込んでいた記憶が有ります。学校に行く前、祖父母の家など時間があればゲームばかりしていて、親によくゲーム機を取り上げられたり電源コードを隠されたりされてました。小さい頃に親に制限されると大人になったとき反動として無限にのめり込んでしまうみたいな主張を見かけますが、半分くらい本当な気がします。実際のところ取り上げられなくてものめり込んでたような気もしますが。
兄弟の関係上ゲーム機は自分の世代に比べて若干古かったのですが、よくやった覚えてるゲームとしてはマリオブラザーズシリーズ・ポケモンRS〜、グランツーリスモあたりです。
こう書くと陰キャラが加速してるように思えますが、この頃はまだ外で遊ぶことも多かったです。また、両親が共働きだったのではまっ子ふれあいスクール…一般的に言うと学童というのでしょうか、そこで友達だか友達じゃないんだかよくわからない距離感の人たちと遊ぶことが多かったです。まるふみ・ドロケイあたりが好きでした。差カーボールを蹴るような人でしたが、年齢が上がってくると運動能力が優れていないことを徐々に自覚してきたので、メンバーの依存が激しい遊びは徐々にしなくなるようになりました。陰キャラですね。
勉強に関しては並だったと思いますが、活字を読むことが得意ではありませんでした。かといって漫画を読むかと言われるとあまり漫画を買い与えられるような家庭ではなく、唯一ドラえもんのみは買い与えられてました。季刊の総集編もので今調べたら未だに発刊しているようで少しびっくりしています。季刊故か季節感がそこそこ収録に出ることが多く(冬なら雪景色が出るようなもの、夏なら夏休みに行くような回など)、その影響で1〜2後に同じ話が収録されちゃってたりします。もっと話選んでほしいですね。
小学3年生くらいまでのまとめ
- まだ外で遊ぶ機会は多かった
- その一方でゲームもそこそこしてた
- 良くも悪くも当たり障りのない特に面白みのなかった年齢とも言える
- 小学校低学年からコンテンツ力のあるような人生ていうのもあったらあったでアレですが…
小学6年生くらいまで
だんだんオタク化が加速していきます。我が家にWindows XPのデスクトップがリビングにおかれるようになり、兄弟がいじるようになりました。私はそれらの画面を見るのが好きだったんですが、兄弟からは嫌がられてました今考えれば当然です。ただ、ゲームをしている画面に限っては見られると困るような画面ではなかったようなので、横でよく見ていました。一番上の兄はAge of empires2(AOC)をよくやっていて、小4くらいに手をつけ始めました。ゲームの趣味は兄弟の影響をかなり受けています。一番上の兄はFPS系、真ん中はRPG系が特に好きだったように思います。私はどっちも好きになりました。
途中だけれど
既に長いしこれが投稿された時がすごく中途半端でも許してください。次書くときはもっとかいつまんで書けるようにします。