薄味インターネット

若者のインターネット離れ。

ちょっとした試みという気持ちで最近はTwitterから離れてみてる。実際にはホームタイムラインをちょろちょろ見てるし、likeを飛ばしているし、フォールバックとして隠居できるような場所も用意してはあるので、発言がとても少なくなった程度が正しいだろう。

気軽に交流できないのは寂しいなという気持ちがありつつも、交流しやすすぎてしまうプラットフォームは自分にとってのめり込みやすく生活や感情に影響が出やすいことがあんまり良くないなあと最近思い始めたのがきっかけ。特にTwitterは書ける文字数が少ない上に文脈を読み取りづらい。そもそもタイムラインに流れてくる全ての内容が自分にとって有意義であるか否かというとそうでないことが多い。それはフォロイーのせいでは全く無いしTwitterの性質なので有意義か否かで価値を判断すること自体がナンセンスだ。それでもUDPのように人々の思考が流れてきてそこから情報の取捨選択をするという行為をするのは最近は疲れたらしい。親しい友人との間でLINEやSlack・Discordでやコミュニケーションをとることの方が時間対満足度が高いので最近はそちらにシフトしつつある(これらの手段は明確に会話のキャッチボールがあるのでUDPと対比してTCPと言えそうだ、だから何かと言われると特に何もない)。

親しい友人とのやり取りは満足度が高い一方、何を話してもあまり問題ない投げっぱなしで済むTwitterとは違って、ある程度話せる内容というのは限られてくるので、消化しにくい箇所はできるだけブログなどで消化するように試みている。が、実際のところインターネットにのめり込みすぎてたのもあってか、学生時代の友人と改めて会話したりすると案外趣味が合ってたことが発覚することが少なくない。自分が思っていた以上にインターネットのコミュニティに浸かりすぎていて、リアルでのコミュニケーションを怠っていたんだなあと再認識した。

なんとなくTwitterが悪いみたいな雰囲気を醸し出していると感じるかもしれないけれど、そういった意図は全く無い。今いる友人関係や仕事といったものはTwitterを通じて形成されたものであり、自分の人生を語る上ではなくてはならない存在だ。これからもそれは変わりないだろうし、容量用法を守って適度にTwitterやその他のSNSを活用してリアルライフとインターネットのバランスを取りたい。インターネット・リアルライフ・バランス。


せやなと思われるような自明なことばかり書いている自覚はあるけれども、それでも自分の思考の読み取りにくさというのは度々色々な人から指摘されているので、実際のコミュニケーションのみならずブログの意思表明で更に自分を深く知ってもらえたら嬉しい。