RPG系のゲームと人生って似てるなと思った。思ったけどRPGはロールプレイングそのものが役割の疑似体験という意味ではある程度筋の通った体験をゲームとして落とし込んでくれるだけなのでそれはそう発言なのかもしれない。
これはもう通年レベルの話だけど、なにか生産しなきゃ〜と思いながら何かを作り始めたところで、既存の手法は続けていると経験値として得られるものが少なくなってくる。最初は美味しい経験値の敵を倒してレベルがあがるが、レベルが一定の水準に達すると美味しくなくなってくる。ゲームの場合は単に必要経験値パラメーターの数値があがるだけのシンプルな仕組みであることが多いけれど、現実でも同じことをやり続けるのは長期的に見ると最終的にはほとんど成長を感じられなくなってしまうというのは結構似てると思う。勿論、同じことをやり続けて会得できるテクニックみたいなものも勿論存在するけれど、現実では幅広く物事に着手して視野を広げたり価値観を獲得することで他の物事についての見識も広がることが多いと思う。こういうところもゲームのスキルポイントの割り振りと似ていると思っていて、一定のスキルポイントを何らかのパラメーターに割り振った結果、他の見えていなかったパラメーターが開放されてその技術が獲得できるとかそういうところ。
あまり加齢のせいにはしたくないのだけど(加齢起因を認めてしまうのは個人的には言い訳がましいと言うかそこで一種の老害的な思考が始まってしまうと思うため)、どうしてもこの歳になってくると若いときに無理できていたことが徐々に出来なくなっていって、自分は駄目になったなあと感じさせられる場面が昔より増えたように思う。加齢という抗う事ができない事象によって経験値の獲得のしづらくなってくるのbuggyすぎんか。そういう面を考えると若いときに何かしら経験をしておくというのはあらゆる面でメリットとして働くと思う。よくある話だけれど、10代の時点で20万のパソコンをもらうのと社会人になってから親から今まで没収されていたお年玉などでぽんと返されても今後の人生において影響が違いすぎる。違いすぎるが書いていて10代の時点でパソコンを渡されずに違うことに勤しめていたらそれで良かったのかも知れないし、私は幸いお年玉を没収されるような家庭ではなかった。
話が逸れたが、お金が使えるならさっさと使って何かしら得るようにお金を出せるようになりたい。社会人になってからそれまでと比べて格段にお金は自由に使えるようになったが、小さい頃の貧乏性みたいな感性が抜けきっておらず、バカスカお金を使うことができない。浪費することも良くないが、お金を出すべき場面では惜しみなくお金を出せるくらいの感性を身に着けていかないと、今後どんどん損をするんだろうなという焦燥感がある。
そんな焦燥感に塗れて今日もスプラトゥーンをする。