本厚木とラーメンと学祭と

母校の学祭が催され、懐かしさを感じたり、知り合いに会うために行った。

本厚木には母校である大学がある。池袋から本厚木まで1時間ちょっとで、今の家から大学までドアツードアで考えたら2時間くらいかかると思う。実家からでも同じ神奈川県内なのに同じくらいの所要時間だったので不思議だ。都内から行くと小田急でそれなりに飛ばせるのでそれはそうと言った感じだけど、それにしたって遠いと思う。よく通っていたなと改めて自分に感心した。

本厚木についたら、来た目的の半分くらいを占めている、あるラーメン屋の濃厚豚骨ラーメンを頂いた。学生時代から美味しいとは思っていたけど、やっぱり美味しい(学生終わってから半年ちょっとしか経ってないという事実はさておき)。
もともと貧乏性な性分があり、特にラーメン屋においてはそのお店の一番標準的なメニューをそのまま頼むのだけれど、今回は今後そんなに来ないだろうということで味玉付きを選択した。いつもとは違う選択が味玉程度なの、自分で書いててちょっと悲しい。
そこのラーメンの濃厚豚骨スープは本当に美味しくて、ラーメンを食べ終わった後にスープと水を交互に無限に飲みまくるというムーブをよくキメていたのだが今回はラーメンを食べ終わった時点で少し気持ち悪くなってしまったのでやめた。歳を感じ、また悲しくなる。

ラーメンを食べ終わった後にやっと学祭が催されてる大学へ向かった。大学はお世辞にも立地がよいとは言えず、バスでも20〜30分かかる場所にある。
バスに乗り、ちょっとしたら信号で止まった。外を眺めていたら右折レーンに同じく止まっていた車が交差する方向の信号が切り替わった時点で見切り発車しようとしていたが、歩車分離式であることを察知してすぐ止まった。結局その車は信号が青になった段階で対向車のことなどお構いなしにさっさと右折して行ってしまった。
本厚木は異様にドライバーのマナーが悪いのがやたら目についてしまう。地元や都内でもそれなりに車の動きは見ているつもりだが、人口比率と観測数を考えたらやっぱりドライバーのマナーは悪いと思う。

大学につき、適当に知り合いがいそうなところに顔を出した。
何も考えずに最初に自分のいた研究室に顔を出した。研究室としての催し物はスルーし、何も考えずに奥のOB/OGが集まるスペースに直行したが、冷静に考えたら自分の最後の方の研究室ライフはほぼ逃げ出すような形で終えたので、ボスと顔を合わせることは自分としてはかなりばつが悪いことに気付いた。ボスはその場にいた他の同期に向かって「話すなら何か食べながらとかが良くない?買ってくれば?」などと言い、同期はじゃあということで席を立ったので私も釣られるように席を立った。その後研究室に顔を出すことはなかったのは言うまでもなく。何しに来たんだろう………。
その後は他研究室を回って適当に挨拶して、ちょっと世間話をして終わり。本当に適当だったので会わずに終わった人も発生してやや後悔。どうせ会おうと思えばいつでも会えるという甘えの気持ち。

学祭の内容自体にはほとんど興味がなかったので、それ系統を目的にはほとんど回らなかった。利き酒くらいはやるか〜と思っていたものの、行ってみたら整理券前提だったらしく、今からだともしかしたら入れないかも…と受付の方に言われたので断念した。

大学自体には3時間くらいしか滞在しなかった。帰りの大学からのバスはそこそこすし詰め状態で蒸し暑くて死にそうだったので、心を無にしてひたすら耐えた。本厚木から新宿へ向かう前に海老名で途中下車してららぽーとに寄り道して懐かしさを感じたりなどした。その後は快速急行に乗って車中では死んだように寝てた。本厚木は遠い(重要)。


自分の嗜好、価値観や生き方としての姿勢は日々アップデートしている気でいる。そのアップデートを日常的に見てくれている人は、自分の思考回路や趣味をうまく汲み取って会話に順応してくれたり、またはそういう雰囲気を感じられる。けれど、自分の趣味嗜好に元からそこまで興味や理解がない人や、数カ月・数年のラグによってその人の中にある自分の人格のデータが古いままで会話をすると、時々価値観の違いのようなものが生じる。それは多分当たり前のことで、そこにパッチである説明することでまた一つの会話が生まれてきたりもするので、コミュニケーションとしては素直にそれをするのが正解なのだろうけど、よほど自分に興味を持ってくれる人でない限りその説明を面倒に感じてしまう。どうしたものか。