友達と趣味

友達と趣味の話です。

この歳にもなって友達を作ろうというのがそもそもアホらしいというのもあるけれど、友達を作ろうと思った時に「共通の趣味を楽しめる人」がほしいなと思った。けれども自分の趣味が一人で楽しむものが多く、語り合うことはできても同じことを同じ空間でこなして過ごすと言ったことが難しい。と思いこんでいるけれど、実際のところどうなんだろう。人々が週末に友達と会った時に何をしたり何を話しているのが気になる。

ビデオゲームはその点わかりやすく楽しめるのが良い。が、自分の場合ゲームが本気になりがちで、熟練度という面で見るとどうしても素直に楽しみづらくなる。自分が楽しくても相手は楽しいのだろうか?とか。ボードゲームは手元にない分(アプリとかでやろうと思えば出来るが)、腕をあげることが出来ない上に、勝ちに行くというをそこまで目的としていないためいい塩梅といえそうだ。が、週末に集まってボードゲームをめちゃくちゃしたいかと言われると微妙。

楽しむ感性が乏しい→世のコンテンツに対して自分が面白いと感じるものが少ない上にマイナーなものに偏りがち→友達が出来にくい、みたいな構造になっている。アニメとかソシャゲに浸かってた時期が会話の引き出しにあまり悩まなかったし、コンテンツを楽しみながら人と話せていた気がする。
さほど興味のないコンテンツに対して手を出してみたことも少しあったけれどさほど興味がないため続かなかった。自明。会話までしなくても良いので雑にコンテンツを吸収して他人が何を話しているのか知れるくらいにはなりたい。今やアニメどころか漫画ですら満足に吸収できていない。どうしたものか。

コミュニケーションは嫌いではないが(もっと言えば自分は好きだと思いこんでいる)、いざ話そうとすると何を話せば良いのか全くわからない。久々に会った友人でさえも「最近どう?」みたいな会話しか展開が出来ず良くないと思いつつも相手に任せがち。悲しくなった。共感を得るのは好きだけれど雑談の糸口を見つけるのが下手なのだろうか。何もわからない…。人に興味はあるつもりだけど、実際のところはそんなことはなく自己中心的に共感を得るというという部分にフォーカスを当てすぎて捌け口としてしか利用していないのかもしれない。自覚はしてないけどそうだったら嫌だな。

コミュニケーションにおいて素面状態の時は物事を斜に構えがち(やりたくてやっているわけではない)な感じがするし、ローテンションで嫌。勿論アルコールパワーはあるだろうけれど、飲酒してるときの饒舌になったときが一番気分良くコミュニケーションをこなせていると認知している。けれども気軽に飲酒しまくると一瞬でトイレや机とお友達になってしまうので酔った状態を維持するのも難しいし(居酒屋で寝ることに定評がある(自称))。どうにか日常生活でも多少の酔いが入った状態を維持したいが、まあ色々無理ではるはずなので諦め。


エクストリームな生活を送ったり謎に喫煙を初めたりしたせいか頭が回らなくなったので切り上げ。相変わらず読み返すと何を言いたいのかよくわからない文章が錬成されていて嫌な気持ちになる。人に論理的になれというわりには自分の文章は全く論理的じゃないように感じるし、諸々助けてほしい。