日記 2020-08-30

8月も終わりですね。

前回の更新から1ヶ月以上経っていた。なぜ更新していないかと言えば無論書くことがないからである。が、一応このサイトは日記という体のブログをやっているので最低限それぞれの月に1記事くらいは更新したいのでする。ブログと日記、言ってることは一緒だと思うけれど、ブログとダイアリーくらいニュアンスが違っていると思っていて、ダイアリーはより個人的な日記という意味合いがあると思ってる。知らんけど。ダイアリー⊂ブログ。響きはブログのほうが好き。

キーボードの話。気分がいいときに自作キーボードであるMint60のスターターキットを買った。最初こそそこそこ上手くいってたつもりだけど、途中でミスってしまい一気に萎えた。一応完成っぽいところまで持っていたけど上手く動かねえ〜となり治すの面倒くさくなって完全に放置状態。やる気isどこ…。そのうちやる気が復活したらやる。

近況をブログを書くとき大体撮りためた写真を見返して思い出すんだけど、大体TwitterやInstagramに投稿している上に、その投稿以上に思ったことがあるかと言えば無かったりとか、そこまで思い出せないとかで全然記事にすらならないことに気付いた。人に何考えているかわからないとよく言われるが、日常の中で自分が感じたことすら口に出来ないどころか言語化できないので当たり前である。自分のブログ名思い出して反省した。

ポリティカル・コレクトネスの話。ジェンダーという概念に対して拗らせた結果、会話の中で男女どちらも取りうる概念に対して出来るだけ性別を限定しないような言い方を心がけている。もっと言えばスイーツ男子とか日傘男子みたいな単語が気に食わない。これらの単語は基本マイノリティである性別に対して適当なポストフィックスをつけてラベリングしているのだろうが、そのラベリング必要ある?と思ってしまいがち。対になっているならまだしも(っていうとスイーツ女子はまだ言う気もする)、日傘女子とかまず言わんでしょ。そんな適当な性別によるレッテルの貼り付けこそがマイノリティであることの主張を加速させているのでは?と思うのだけれど、その一方で「事実であることを言葉として主張しただけでそこに対して深い意味合いはないのでは?」と思うことは他の概念に対しては思ってるはずなので、ダブルスタンダードも甚だしい。
上記のポリティカル・コレクトネス云々は政治的主張をするほどのことではなく、ただ自分の中にある小さなこだわり程度なのでこれを見ている人は全く気にしなくて良い。むしろ気にされすぎて気を使われたりするほうが疲れそうなので(別に気を使われた覚えもないが)。他者が自分を見たときにありのままの評価をされた方が自分には合う。それが例えネガティブな評価だったとしても、そこを受け入れなければ自分自身の成長にはつながらないと思う。その一方でうるせえ知らねえファイナル・ファンタジーみたいなことも大いにあるのでそこは物次第。


実際の政治的問題まで落とし込むと人によって感覚が違いすぎて人類一生和解出来ないのではという気がしてくる。

久々にブログ書いたらいつもに増して文書の組み立てが出来ずに疲弊だけしたので疲れた。またちょっと集中して書くようにしたい。