日記 2020-06-30

継続は力なりとは言うけれども。

以前も同じようなことを書いた気がするが、「継続は力なり」という諺はなんだかんだ真理だなあと思うことが多い。

プログラミングが出来る。小学校高学年からHTMLやBasic言語に興味を持ち、25の今でもやり続けている。もう人生の半分はプログラミングらしい。甲斐があってかプログラミングの仕事にすることができている。ありがたい話だ。
そんな自分の人生であるからこそ、自分が新しいことに取り組もうと思ったとき、「プロ」になるにはそれ相応の時間をかける必要があることが分かる。別に本気にプロになりたいわけではないが、それ相応の能力をもって人に認められてみたいという感情がある。しかし先述したように新しいことを始めて人に認められるようになるためにはそれ相応の時間がかかることは自分が一番理解している。今すぐにも認められたい感情が手に入らないとそこで挫けそうになる(というか大体すぐくじけている)。多分この思考回路・メンタリティ自体が駄目なのだと思う。こんなんでは駄目だという感情が募りつつも、泳げない人ががむしゃらに藻掻いたところで溺れるだけで、まずはそのメンタリティから改める必要があるのだろう。改める方法とは。何もわからない。少なくとも「プロになりたいわけではないが」というメンタリティ自体が駄目な気はしてる。

ひたすらに芸術面に対しての憧れがあり、特に絵を描けるようになりたい・作曲出来るようになりたいという気持ちがあるが、明らかにプログラミングとは違った思考を求められている気がして、手を動かしてもなかなか思うように行かない。想像力・発想力みたいなのが乏しいのだと思う。作曲はそもそもまともに着手すらしてないが、絵を描くときは「自分がどんな絵を描きたいか」というものが全く思いつかない。人を描こうとするならば構図だったりとか服装だったりとかどんなシチュエーションだったりすればいいのかが全然妄想することが出来ない。勿論初めから5W1Hを満たすような絵を描ける必要自体は全く思っていないが、そもそも全くの想像すら出来ないようなI have no idea状態からは抜け出したい。

自分がなぜそこまで発想力に乏しいのだろうと思ったのだけれど、摂取するコンテンツの偏りが激しいことが原因だと思う。日常でやっていることと言えばゲーム・プログラミングくらい。もっと詳細に言えばスプラトゥーンとTypeScriptくらい。お前の人生9割スプラトゥーンとTypeScriptと言われれば発想力が欠如するのも自明かもしれない。アニメとか映画を楽しめる人が本当に羨ましい。以前はアニメを楽しめている気がしたので、この姿勢も改めたいところだが、面白いはずのコンテンツをうまく消化できないことにもどかしさがある。どうして…。
と、言ってるだけでは現状は何もかわらないことは理解しているので、多少無理矢理にでも摂取していくように改める必要が有る(これは以前も言った)。とりあえずプログラミングとゲームを最小限にし、新しいコンテンツを摂取するような時間を確保するところから。今は余暇さえあればその2つのどちらかをやってしまいがちなので。
プログラミングしてるときは大体音楽を聴いているが、これも既存プレイリストをループさせまくるのやめて新曲だったりランキングを漁って世間一般の感覚を理解しておくくらいはしておきたい。ただ、音楽は作業BGMになりすぎていて詩としての良さを理解するほどの余裕をもって聴いているわけではないので、視野を広げるためという意味では薄そうだ。やらないよりかはましなはずなのでやる。好きな曲が増えること自体は嬉しいので。


とにかく同じことをやってしまわないように意識して生活するようにする。ゴミが溜まってきたのなら捨てる、部屋が散らかっているのなら片付けるみたいな些細なことですらなかったことにして同じことを繰り返してしまうので、日常の中のそういった小さなところから改善していって新しい視点が発見できるといいな、という目論見。

最近今日の可愛い出来てない。